旭國斗雄(あさひくに ますお)

しぶとい相撲をとった人ですが、大関になるとは思いませんでした。体が小さい事もありましたが、それよりも何よりも、膵臓炎という病気を持っていた事が原因です。何しろ初日から休場した事もありましたからね。そういう人が大関になったのでしたから、驚いたものでした。しかも弱い大関ではなく、立派に大関としての存在を示していたのですから、たいしたものですね。

小兵力士の例にもれず、旭國も技能派の力士でした。「相撲博士」というニックネームがあったように、冷静に取り口を分析して話すのが得意でした。解説者としてはうってつけの人ですね。

旭國は、見るからに稽古十分という感じのある力士でした。玉ノ海さんがよくいっていた「土の香りのする力士」という表現がぴったりでした。もちろん、この「土」というのは土俵の土ですけどね。

そうそう、思い出しました。最初から「相撲博士」ではなかったんですよ。始めは「ピラニア」だったんです。ピラニアというのはアマゾン川に住んでいる、小さい魚なのですが、川を渡ろうとした牛のような大きな動物でも殺して食べてしまうのです。そんな、食い付いて離れないところが相撲ぶりとそっくりだったので、まず「ピラニア」になったわけです。「相撲博士」の方は大関に昇進してからのことだと思います。

で、相撲ぶりです。小柄なので得意の食い下がりの体勢に入ると、テコでも動かない、そんな感じの相撲でした。右を差して、低い体勢になってからの寄り、投げが基本でした。離れて取るタイプの相撲ではありませんでした。ただ「とったり」はうまかったですね。大関時代になると、このわざが売り物となっていました。そして良く決まったのです。「とったり」を得意わざにする人はあまりいないのですけれど、旭國がやるとなかなか効果的なわざだなと思わせました。

それともう一つ。闘病生活です。膵臓炎との戦いですね。入院していて、そこから抜けだして土俵に上がったり、点滴を打ちながら相撲を取ったりと、なかなか大変でした。本人は「土俵で死ねたら本望だ」とか言っていたようですが、結局は病気があるなんていう事を全く意識させない相撲を取っていたのですから、たいしたものですね。

そうでした。親方に「もう稽古はやめろ」と怒られたくらいの稽古好きでもありました。そのため「普通は稽古しろと怒るのに、立浪親方がうらやましい」という親方もいたようです。

こういう風に書くと、やたら戦闘的なように思えるかもしれませんが、実際は「土の香りのする力士」といわれたように、味わいのある力士でもありました。この辺が何とも不思議ですね。

実は大関に昇進した時、本当にやって行けるのかと思ったものでした。何しろ健康体ではなかったのですからね。ところが相撲を取ってみると、そんな心配は無用でした。優勝争いに参加した事もあるし、優勝決定戦に出場した事もある、立派な成績でした。闘志で病気をねじふせた、そんな気もします。技術的には技能賞を6回も取っているくらいですから、技能派の力士なのですが、本人は「闘魂」という言葉が好きだったように、敢闘型の性格でした。その辺のミックスされたのもが味わいとなって醸し出されていたのでしょうね。印象に深く残る力士でした。

引退後は大島親方となり、独立して部屋をおこしました。その中から、早々と旭富士を横綱にしてしまったのはさすが「相撲博士」だけの事はある、と言われたものでした。肝心の旭富士が膵臓炎をやったりしてあまり印象の残らない内に引退してしまったのは残念でした。それにしても師弟で同じ病気にならなくてもいいのにと思うんですけどねぇ。ま、それはともかく、相撲博士のこれからの弟子の養成ぶりに注目したいですね。


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