大受久晃(だいじゅ ひさてる)

大関昇進時のはなやかさと、短かった大関在位とが対照的な感じを与えますね。何しろ三賞すべてを独占して大関昇進した訳ですから、これはすごい人だと思いましたし、すぐ横綱になるのではないか、そんな気さえしました。ところが新大関の場所を休場してから勢いがなくなり、わずか5場所で陥落してしまいました。

こう書くと、あまり強い力士だと言う印象がないかもしれませんが、実際はもっと強い人でした。それに押し相撲にはめずらしく、成績の安定した人でした。何しろ、幕内の真ん中から下で相撲を取ったのが、引退直前の時だけ、と言う安定ぶりでした。新入幕の時も、十両上位で好成績だったために幕内中位以上に上がり、そのまま大関になってしまったので、こんな事になったわけです。ですから見ている方としても、幕内土俵入りが終ってすぐに大受が出て来るとなんか変な感じがしたものです。「あれ、もう三役の取組なのかな」、そんな気がしたものでした。

大受がこんなに安定していたのは、その相撲ぶりが原因です。大受の相撲は押し相撲といっても、出足をきかせたり、突っ張ったりするやり方ではなく、広い肩幅を生かした、左右からおっつけてジワジワ出るタイプの押し相撲だったからです。相手との密着度が高いため、それだけ堅実性が増したわけです。それでも三賞を独占した時などは、出足も付き、立合から一気に決める事が多くなっていました。これは大受の相撲が完成して、相手を楽に持って行けるようになったからでしょうね。とにかく大関昇進直前の大受は、本当に強い力士でした。

大受は、初土俵までがちょっと大変でした。確か身長が足りないので、新弟子検査になかなか合格せず、3回目でやっと合格したと記憶しています。合格してからは押し一筋で、親方の厳しい指導を受けながら上昇して行きました。しかも風貌が親方そっくりで、似たもの師弟と言う感じでした。師匠は土俵一筋に脇目をふらなかった人でしたが、大受もそうでした。ですからあまり回りに合わせると言う感じのなかった人でもありました。ある時力士会(だと思います。あやふやですが)で旅行に行った時に、話題になった力士が二人いました。あまりに徹底しているので目立ったのですが、一人は北の湖、もう一人が大受でした。北の湖はずっと酒をのんでいたので、大受はずっと卓球をしていたので、二人ともあまりの徹底ぶりが話題になったものでした。こうと思ったら集中してしまうところが良く出ていましたね。

大関から陥落しても、全盛時と同じ態度で土俵に上がっていたのは、この人が自分の相撲をあくまでも取り切ろうと徹していた事を示していると思います。ところがこういう人ですから、誤解を生じる事もあったと思います。

これが残念な事に師匠との間に確執を生む事になってしまったようです。これはチラチラと話にも出て来ましたが、なんと言っても引退後の大受がすぐに一門の別の部屋の親方になった事に端的に示されていますね。あれほど二人三脚で稽古にはげんでいた師弟が仲違いをしてしまったのは残念な事です。しかしこの二人の場合は生き方の相違、というか考え方の相違が原因になっているようなので、良くあるような現金収入の取り分にからんだものではないといえます。この点はやっぱり似たもの師弟といえそうです。

結局、師匠の高島親方がなくなっても、ついに高島部屋に戻る事はありませんでした。

大関としては強い印象を残す事ができませんでしたが、幕内通算成績で勝ち越している事からわかるように実力のある力士でした。現在は部屋付きの親方ですが、いつかあの押し相撲を次の世代に伝えて欲しいものだと思います。


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