藤ノ川豪人(ふじのかわ たけと)

「今牛若」といわれた通り、小柄な体でスピーディーに動いて暴れ回った人でした。しかも相手の動きをかわしたりしながら、最後は前に出て勝負を決める正統派の相撲でした。それにしてもあの相撲ぶりは颯爽としていましたね。若くして入幕してきたので、本当に「若武者」という感じでした。確か高校に通いながらの力士生活で、無事に卒業したように聞いています。この辺、努力家なんですね。

考えてみると、藤ノ川は不思議な力士ですね。俊敏な動きが印象に残っているのに、大技というものがないんですね。それでいて、押し相撲でもないんですよね。今でもよく覚えているのは、対戦相手は忘れましたが、動きまわっている途中で一寸体が離れたところで、両手で回しをぽんぽんと叩いてから脇を締めて相手にガンと当って筈押しで押し出してしまった事がありました。この時の気合というのは素晴らしかったですね。

それと立合ですね。余り立合のよくなかった時期ですけど、良い立合をしていたように思います。玉の海なんかが中心になって、一時立合がすごくよくなった頃がありましたが、その時に真っ先に立合を良くしていった人の一人のように思います。

忘れられないのは、兄弟子の柏戸が引退したときですね。この場所、藤ノ川は好成績で、優勝決定戦に出場した筈です。もし勝っていれば優勝だったのですが、それはなりませんでした。

上位で存分に暴れまわった事から、実力者である事ははっきりしていました。ただ体格などから、大関昇進とかいう事はありませんでした。それで十分に見せ場を作ってくれました。

若くして幕内に昇進したので、藤ノ川の活躍は長い期間に亙る筈でしたが、そうは行きませんでした。左足を故障したのが命取りとなり、その外に肩なども痛め、あっけなく引退してしまいました。引退のときの年齢が、26歳です。まだまだ活躍できた筈ですね。本人にとっても無念の引退だったと思います。

引退後は立川親方となり、部屋で後進の指導に当りました。その後師匠の死去により伊勢ノ海を継いでいます。・・・と書けばこのままなのですが、実はこれは異例の継承でした。というのも伊勢ノ海を名乗るのは現役時代柏戸を名乗った力士、というのがこの部屋の伝統だったからです。これが破られた訳です。ま、このころ柏戸は鏡山となって部屋を経営していましたし、あえて伝統にこだわる必要がない、という事になったようです。ですからこの継承には何の波風も立たなかったように思います。それに藤ノ川というのも師匠が一時名乗った事のある四股名ですし、元々伊勢ノ海部屋に伝わる由緒ある四股名でもあるのですから、これはこれで良いのでしょうね。


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