富士櫻栄守(ふじざくら よしもり)

「突貫小僧」のあだなで親しまれたように、押し一筋の土俵でした。この「突貫小僧」というあだ名は押し相撲の人につけられるもののようで、富士櫻の前には同じ高砂部屋の前田川がそう言われていました。ですから私の知っている限りでは二代目という事になります。もっとも名前から見るともうちょっと古くからあったような気もしますが、その点については判りません。

富士櫻が始めて入幕した時に、アナウンサーが「上半身の発達がみごとですね」と言いましたが、本当に筋肉がついていました。その発達した筋肉で突っ張って相手を攻める、本当に気持ちのいい相撲でした。とにかくやる事が徹底していて、相手を押すだけでした。相手が前のめりに倒れそうになると自分で突きおこして、それから押し出していた事もありました。決まり手も「押し出し」以外はいやだ、そんな感じの相撲でした。

富士櫻はちょうどいいライバルがいました。それは騏麟児です。この二人の相撲は猛烈な突っ張り合い、押し合いをいつも演じていました。本当に見ごたえのある一番で、この二人の対戦は目玉商品として、よく8日目に組まれていました。いつだったか、相撲放送で巴潟の高島親方がゲストの時にこの対戦があり、勝負がついた時にはこの厳しい人が涙ぐんでいた事がありました。それほど感動したわけなのでしょうね。観客が沸いた事は言うまでもありません。

確か井筒親方(元鶴ヶ嶺)だったと思いますが、高砂部屋へ熱心に出稽古に出かけた事がありました。理由は力士自身の稽古もさることながら、富士櫻の稽古をみて学んで欲しいという事でした。若い力士の手本となるような稽古ぶりだったわけですね。

富士櫻の幕内生活は長期に亙りました。それも現役引退の近い頃を除いて休場はありませんでした。日頃の摂生の賜でしょうね。

明るいムードの人で、僚友の高見山と共に高砂部屋ベテランとして活躍しました。そういえば「突貫小僧」の名も年を取って来たからむしろ「突貫おじさん」の方がふさわしい、といってなんとなくそうなったのはおかしかったですね。

常に幕内上位で活躍した人で、いつもいい相撲を取っていたような印象があります。ですから富士櫻、騏麟児戦が見られなくなった時には、さびしい思いをしたのを覚えています。

引退後は中村親方となり、自分の部屋をおこしました。どんな力士が出て来るか、楽しみですね。


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