福の花孝一(ふくのはな こういち)

この人を語るには、三賞の話が一番でしょう。三賞を7回受賞しているのですが、そのすべてが敢闘賞なのです。本当に福の花らしい受賞のしかたですね。「フックの花」と言われたくらいの突っ張りを武器にして、闘志あふれる相撲をいつも見せてくれました。見ていて本当にスカッとする人でしたね。

福の花の突っ張りは、張り手を混じえた激しいものでした。北の富士がこれを受けて土俵上に倒れた事もあります。おもしろいのは、この時文句を言われたのは倒した福の花ではなくて倒された北の富士でした。「だらしがない」というのが理由でした。福の花の方は「闘志があってよろしい」とかえって誉められた感じでした。

福の花の相撲は立合から突っ張って、右を差してどんどん前に出る、そういう相撲でした。単純といえば単純でした。その代わり気迫が込められていて、その真剣な取り方はいつも人をひきつけるものがありました。

地味な、目立たない人だったのですが、ベテランになった頃、急に回しの色が派手な色(ピンク系だったような気がします)になってしまったのにはびっくりしました。意外と似合っていたのですが、本人は「恥ずかしいから、すぐに汚して目立たなくしてしまおう」とか言っていました。

福の花は若い頃はあまり目立たない人でしたが、年をとって来るにつれて味わいが出てきました。このころから一層人気が出て来たように思います。

相撲はとにかくはっきりしていました。勝てる人には勝つ、勝てない人には勝てない、そんな取り方でした。どちらの場合でも力を抜くことはありませんでした。こういった態度が支持されたのでしょうね、人気力士の一人でした。ただ本人はなんとなく人気がある事に戸惑っていたようなところがありました。ま、そのくらい地味な人だったという事でしょうね。

福の花で印象的なのは引退の時です。地元の九州場所で引退をしたのですが、自分の相撲を取り終えて花道を下がる時に、さがりをポーンと付け人に投げて大きくのびをしました。いかにも「さぁ、終った」という安堵感が出ていました。このシーンはテレビに写ったせいで大勢の人が見ていましたが、すべき事をなし終えた充実感や開放感が伝わったらしく、福の花を惜しむ文章があちこちに出たように思います。めずらしい、さわやかな場面でした。

引退後は関ノ戸親方となり、部屋と協会で尽力しています。親方となってからも堅実に仕事をこなしているようですね。


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