双葉山定次(ふたばやま さだじ)

この人は私にとっては時津風理事長という名前の方が馴染みがあります。千秋楽に優勝賜杯を渡す人としてのイメージですね。でもなぜか貫禄のある人でしたね。

小坂秀二氏が事あるごとに名前を挙げるのでも有名(!)ですね。小坂氏は栃錦のファンとしても有名でしたが、双葉山にもいれあげていて、陸軍で東南アジアかに行っていたときも、休暇が取れたので国技館に直行して双葉山の相撲を見たというくらいですからね。でも、玉ノ海さんが書いている話もなかなかいいんですよ(この人もビデオでみたい)。

と、周辺の話はこのくらいにして、ご本人の話をしましょう。

私もテレビで昔の相撲が放送されたとき(15年くらい前かな、その頃も相撲ブームでしたッけ)双葉山の相撲を見たことがあります。この頃までは、安芸ノ海に敗れて連勝が止ったときの相撲は映画では見られないと言われていたのですが、なんと発見されたのです。それを始めニュース映画を中心にいくつか見たことがあります。

取り口の特徴は、静かで力強い、という感じです。闘志が前面に出てくるタイプではないので(旭富士のイメージかな?)、寝ているのだか起きているのだかさっぱりわからない感じなのですが、見ていても負けそうにない人だと思うのは不思議でした。得意は上手投げと寄り、うっちゃりですね。上手投げがまた地味な決まり方で、相手がゴロンと横になる、というようにみえます。これに比べると千代の富士の上手投げはだいぶ派手ですね。

立上ってからの攻めはさすがに早くて、「後の先」とはこれか、なんて思ったりもしました。お年寄りがあんまり誉めあげるので、いやになっている人もいるかもしれないですが、大力士の一人ですし、じっくり見ると味わいがありますね。

時津風という年寄名は元々大阪の年寄名で、双葉山が継いだ頃はやくざな人間が名乗っていたという余りよくないイメージがあったそうです。ですから「そんな年寄名を名乗ることはない」と忠告した人もいたそうですが、「いや、私が名乗って良い年寄名だといわれるようにしたい」と答えたそうです。実際、現在では名門となってしまったのですから、双葉山の力が大きかったことがわかります。でも死後の相続にまつわる紛争は残念でしたね。未だに尾をひいているようです。

双葉山の人気がいかに凄かったかということは、本場所の日数が増えていったことにもあらわれています。当時は11日間の興行だったのですが、双葉山の人気が沸騰して、結びの一番が終わったころには翌日の入場券を求めて列が出来たということです。そのため徹夜の人達が暖を取るために焚き火をしたりして大騒ぎになり、やむなく13日間の興行にしたそうです。ところがそれでも収まらないので15日間の興行にして、やっと一段落したということがいわれています。一人の力士が本場所の日数を変更させたわけですから、こんなことはもうないでしょうね。

ところで轟亘という力士をご存じですか? 時津風部屋の力士で、早い話が双葉山の弟子です。牧本という本名で長かった人なのですが、十両になったときに親方にもらった四股名がこれなのです。「名前が広く轟き亘るように」という意味でつけたのだそうですが、どうみても珍名の部類ですね。こんなおかしい所もあった人なので、実際に身近にいるとよい親方だったのでしょうね。牧本自身ももう一度関取になってこの四股名を名乗りたいと頑張ったのですが、ついに復活できませんでした。ちょっと泣かせる話ですね。


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