羽黒山政司(はぐろやま まさじ)

強い力士だったようですが、どうも三つの点で損をしています。一つは双葉山の同時代の力士だったことです。しかも弟弟子ですから、この点から言っても双葉山の上には立てないようなイメージができてしまいますね。これは相手が悪かったというべきなのでしょうけれども・・・。

二つめは取り口です。堅実な相撲ぶりだったのですが、その分地味であり、パッと派手やかでなかったので人気の面では損をしていたようです。

三つめは時代ですね。双葉山が引退して、さあ自分の時代だとなったときが戦争の終ったばかりの時期で、相撲どころではないという世相だったわけです。本場所の開催も不安定な時期で、東京での開催場所も一定していません。こんな時期に第一人者となったわけですから、だいぶ貧乏くじをひいたという気がします。でも敗戦直後の混乱期から安定に向かう時期にかけて横綱として充分に存在を示したという点で忘れられない人ですね。

双葉山とは本当に対照的な人で、頑健な体格でいかにも力の強そうな人という感じですね。無類の稽古好きで、確かアキレス腱を切ったときも回復を待ち切れないで土俵に降りてもう一度アキレス腱を切ってしまったというくらいなんですね。稽古好きと言えばこんな話があります。まだ若かった頃の若乃花(二子山の)が酒を呑みに行ってお金がなくなってしまい、その頃かわいがってもらっていた東富士のところへ電話を入れて払ってもらったことがありました。翌日横綱大関に呼びだされた若乃花はこってりと油を絞られたのはもちろんですが、その場で追放されそうになったのです。その時「こいつはよく稽古をするからきっとものになる。今回は見逃してやってくれ。」と言ったのが羽黒山だったのです。この一言で若乃花は許されてそのまま力士を続けられるようになったのはいう迄もありません。現在でも若乃花(二子山親方)はこのことを感謝しています。それどころか羽黒山(立浪親方)と横綱会でいっしょになるとまッ先に酌をして「現在あるのも親方のおかげです」というのが常だったようです。無類の稽古好き同士というのが何ともいい話ですね。そういえば若乃花が横綱になったときの三つ ぞろいの化粧回しは双葉山のたった一つ焼け残ったものを借りたのだっけ。

えっと、羽黒山の話でしたね。 この人で泣かせるのは、最後の全勝優勝の時の写真でしょうね。子供を膝において賜杯を持って笑っているだけの写真ですが、ここに至るまでには苦難の連続だったのです。右足のアキレス腱を切って再起不能といわれていたのをやっと復活したわけなんですが、もう一つ辛いことがあったのです。それは病気で家族をなくしてしまったことです。ですからこの時の羽黒山は再婚後だったわけです。ですから、あの笑顔となったわけなのです。そう思ってみると、何ともいい笑顔にみえてくるから不思議ですね。

親方としては立浪四天王を育てています。北の洋、安念山(後、二代目羽黒山)、若羽黒、時津山の四人です。こう並べてみると、四人とも懐かしい。この内の三人が優勝しているのが素晴らしいですね。北の洋は現在ではNHKの解説者になって、元気な声を聞かせてくれています。安念山は現立浪親方ですね。北尾の事件の時に久しぶりでマスコミに登場しましたね。そうでした、あの親方夫人というのが羽黒山の子供なんですよね。ま、親方としては立浪一門の総帥として、相撲協会の幹部として、最後まで活躍していました。

持久力抜群の、安定した横綱だったようですね。


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