北葉山英俊(きたばやま ひでとし)

「根性大関」で有名な人でした。入門の時から敢闘型で、確か身内の反対を振り切って部屋に飛び込んだ、といわれています。北葉山の相撲で一番目立つのは闘志ですね。

とにかく小さな体で食い下がり、決して勝負をあきらめない相撲ぶりでした。そのため大きく勝たない代わりに大きく負け越しもしませんでした。大関になるまでほとんど負け越しがなかったのはそのしぶとさに最大の原因があるようです。それともう一つ。北葉山には名人芸がありました。師匠直伝のうっちゃりという名人芸です。なにしろうっちゃりの名人と言われた双葉山にみっちりとしこまれた技ですから、師匠にそっくりでした。古い相撲ファンの中には双葉山そっくりだというので感激している人もいました。あの双葉山そっくりと言われたわけですから、そこまでこの技を身につけた北葉山も大したものだと思います。最近でのうっちゃり名人の一人ですね。

うっちゃりで最高の決まり方だと言われているのが、優勝した場所で大鵬をうっちゃった一番です。このとき土俵際につまった北葉山は最初は右にうっちゃりをみせました。この時さすがは大鵬で、うっちゃりに対抗して重心を移動したのですが、それを見てとった北葉山は今度は左に打っちゃって見事に大鵬を破っているのです(あるいは左右が逆かもしれません。うろ覚えなので間違っているかもしれません)。このやり方は双葉山がよく見せていたもので、「さすが」と唸らせました。それにもまして、小兵でありながら、全盛時代の大鵬を破って優勝を決めているわけですから、この人がどんなに気の強い人だったかよくわかりますね。

ところで気の強い北葉山にも苦手はありました。それは意外な事に(?)ふぐでした。北葉山のふぐ嫌いは徹底していたようで、部屋での稽古の時に「ほら、ふぐを食わすぞ、ふぐだぞ」といって脅かしで稽古をさせたというのです。そういうと本当に真剣に稽古をした、というのですから、なんとなくおかしくなりますね。よっぽど嫌いだったんでしょうね。

大関昇進後は、優勝1回を含め立派にその責任をはたしました。最後まで安定した成績を上げていたのは、これもふぐが嫌いだったおかげでしょうね(そんな馬鹿な!)。引退後は枝川親方となり、時津風部屋所属の親方となりました。それからこの人で目立つのはなんと言っても28年間も審判委員を勤めた事でしょうね。これあまり注目されませんけど、ギネスブックものじゃないでしょうか。こんなに長く審判委員をつとめた例というのはあまり無いように思います。それほどこの仕事に適任だったという事でしょうね。それから1994(平成6)年に理事となり、九州場所部長となりました。土俵下にあの顔が見られないのはさみしいような気もしますが、重要な仕事についたわけですから十分に手腕を発揮して欲しいですね。


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