北の洋昇(きたのなだ のぼる)

「白い稲妻」と言われていました。速攻が持ち味だった人ですが、実は最初からこうだったわけではありません。速攻相撲になる前は突いたりはたいたりするいわゆる半端相撲だったそうですが、こういう相撲を取っていてはだめだと思って前に出る相撲に変えたのだそうです。

どういうきっかけでそうなったのか興味のあるところですね。つまるところ、半端相撲ではそこそこ勝てるが大きく伸びないし、寿命も短いのではないか、と考えた事が原因のようですね。相撲を変えると言うのは大変な事ですけれど、何場所か犠牲にするつもりで、相撲改造に取りくんだ結果が、あの見事な速攻相撲だったわけです。

ところでこの人の仕切りは特徴があり、良く話題になっていましたね。というのは、仕切っている途中で両方の膝をブルッと振わせるのです。それが闘志一杯の武者奮いのようにみえて、なかなか印象が強かったのです。

常に幕内の上位で活躍し、三役の常連でした。三賞も合計で10回受賞しています。とにかく安定した実力者でしたね。その実力の源となっていたのは、立合から一気の出足でした。栃錦との大物言いの相撲と言うのはいまだに話題なる事がありますが、これも北の洋の鋭い出足と、栃錦の土俵際での粘りとがあいまっての事でした。この二人の一番はよくもつれたような気がします。いつも稽古が十分で、迫力のある相撲を見せてくれました。それというのも差して一気に出る相撲と言う型を身につけていたために、長く活躍できたのでしょう。十分に相撲を取り切って引退した感じがあります。

引退後は武隈親方となり、在京理事として協会の運営に参画しました。特に春日野親方と仲が良く、参謀役として活躍しました。定年に当っては娘婿の黒姫山に武隈を譲りました。定年後はNHKの相撲解説者として本名の緒方昇で登場しました。なかなか明解な解説だったのですが、理事をつとめて協会の運営にたずさわったせいなのか、解説の視点が協会の幹部が現役力士の相撲を見てしゃべっているような感じを受ける事があります。これまでにない観点からの解説なので、なかなかおもしろい時があります。

それと特筆すべきは、本名での解説でしょうね。これまで力士出身で相撲の解説をした人は皆親方の時は親方名で、相撲協会を定年になった人は現役時代の四股名で解説をしていました。ところがこの人だけは北の洋を名乗らずに本名で解説を始めたのです。最初のケースと言ってもいいような気がします。これは推測しますに、協会を離れたのだから、一個人として発言した方がいい、という考えによるものでしょう。思い切った考えのような気もしますが、一つの考え方でしょうね。


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