金剛正裕(こんごう まさひろ)

「強い」というよりは「しぶとい」という感じの相撲でした。右で前回しを取り、左から攻める形になると力を出しました。本人も自信があったらしく、「この格好になったら、相手が横綱でもちょっと簡単には負けられない」と言っていました。

「ホラ吹き」といわれたくらい、思った事をポンポンという人でした。この点では目立っていましたね。平幕優勝した時も、「ナポレオンは3時間しか寝なかった。金剛もそうだ」といいつつ「こうなったら狙います」と言ってそのとおりに優勝しました。その後で「ホラ言った通りだろ」とオチまでつけました。これは結局話題を作ってムードを盛り上げて、自分もそれに乗って行こうという事だったんでしょうね。

名古屋場所の優勝で、宿舎まで遠かったので「手を振っているように見える機械を作ろうかな」とも言っていたのがおかしかったですね。そうそう、この人は発明の趣味があって、幕下のころだったかに、関取の背中を流す時に便利なたわしを発明して特許を取ろうとしたとかいう話があります。結果がどうなったかは知らないのですが、何かこの人らしいなとおもいますね。

「ホラ吹き」と言われたとおり口が達者な人でしたが、大口ばかりでなく、きちんと幕内上位力士として活躍していたのはさすがでした。相撲に関しても、自分の十分というのをきちんと考えていた人で、その点では頭で取るようなところがありました。

現役時代には話がおもしろいので、座談会に良く引っ張り出されていました。そしていつも「引退後はNHKの解説者だ」と言われていました。それにしては解説であまり活躍していないのは不思議ですね。

金剛はまだまだ活躍できる年齢であっさりと引退してしまいました。それは二所ノ関部屋を継承したからです。元佐賀ノ花の二所ノ関親方がなくなった後の部屋継承騒動については、大鵬の時大騏麟の時にそれぞれふれましたが、その当事者の一人の金剛の時にもふれざるを得ませんね。

この時金剛は幕内優勝の直後でしたが、大鵬や大騏麟より年下だったので現役力士でした。しかも独身でした。この金剛が二所ノ関部屋を継承できたのは先代親方の娘と結婚してその籍に入ったからでした。ほとんど大逆転と見えたこの騒ぎには、まだ続きがあります。それは程なく金剛(もちろん二所ノ関親方です)が離婚したからです。無責任な事をいうべきでないのは確かなのですが、部屋継承のために結婚して、ほとぼりがさめたらさっさと離婚したような印象を与えますね。そのためか否かは解りませんが、このころから「二所ノ関一門」というのは以前ほどの存在を示さなくなったように思います。むしろ花籠部屋や二子山部屋の方が目立つようになってしまいました。一門の本家である二所ノ関部屋の存在が薄くなってしまったのは、この継承騒動が原因になっているように思えてなりません。

そういえば金剛は珍しい記録を樹立するところだったのです。それは優勝の次の場所、関脇での時です。この場所、金剛は初日から7連敗してしましました。こうなると記録好きの人がすぐ持ち出すのがあの栃錦の7連敗8連勝の記録です。注目された金剛はその8日目から本当に勝ち出したのです。そしてあっという間に7連勝してしまいました。この調子なら千秋楽は間違いなく勝つだろう、と思わせたのですが、残念な事にここで負けてしまいました。結局勝ち越しはならなかったわけなのですが、これがいわば金剛が打ちあげた最後の花火でした。このあとすぐに引退してしまったのは先にのべたとおりです。

親方となってからはあまり目立っていない金剛ですが、大善といった好力士を幕内に送り込んでいます。ただ昔の二所ノ関部屋を知るものにとっては、現在の部屋の状態には淋しさを感じてしまいます。何とかかつての勢いを取り戻して欲しいものだとおもいます。


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