琴風豪規(ことかぜ こうき) 膝の怪我に泣かされた人でした。結局これが原因で若くして引退する事になってしまったのです。もっとも膝を故障したせいで前に出る相撲を心がけて、あの見事ながぶり寄りを完成させ大関まで昇進したのですから、判らないものですね。大関としても、優勝を2回していますし、「黒船」といわれて恐れられていた新入幕当時の小錦を上位陣でただ一人破ったりした事もあったりして、立派にそのつとめを果していました。それでいて、なんとなく明るいムードのあった人で、怪我で苦労した事など、全然匂わせませんでした。 苦労といえば、琴風の力士生活は辛いできごとからスタートします。力士生活晩年で引退をひかえていた琴櫻は、独立して部屋をおこす事を考えていましたが、師匠の佐渡ヶ嶽親方はそれを許しませんでした。しかし独立するとなればいい弟子を探しておかなければなりません。それで琴櫻は自分が見出した琴風(当時は中山少年)を自分の家に住まわせ、こっそり稽古をつけていました。自分の家には土俵がないので、近くの公園で稽古をつけていたのですが、そんな事をしていては人目に立ちます。ついにこの事が佐渡ヶ嶽親方に見つかり、中山少年は無理やり佐渡ヶ嶽部屋につれていかれました。こうなると琴櫻はあくまでも現役力士なので、表だってかばってやる事はできません。そのため随分いじめられたようです。それに堪えて初土俵を踏み、力士生活を始めたわけです。ま、そのうちに佐渡ヶ嶽親方が亡くなり、琴櫻があとを継いで佐渡ヶ嶽親方になったので、そんな思いもそれまでだったようです。琴櫻としては自分が見つけて来た弟子ですし、辛い思いをさせてもいるので、本当に琴風の事がかわいかったようです。何と言っても先代からの弟子でない力士の幕内第一号だった訳ですからね。 入幕した琴風は割合順調に上位へ昇進しました。そして「さあ大関」の声がかかろうと言う時に、膝を怪我して幕下まで下がってしまいました。ここから文字通り「不屈の闘志」で再入幕しました。この間に、膝をかばうために以前にもまして攻撃相撲を取るようになり、がぶり寄りを完成させるわけです。そしてこの取り方があっていたのか、がぶり寄りは素晴らしい威力を発揮しました。本当に見ていてホレボレとするようでしたね。がぶり寄りを得意にする力士はあまりいないので、より目立ちましたね。 怪我からの再起後、左膝が心配なのか、時間いっぱいになって塩を膝にそっとかけてから土俵に塩をまくようになりました。怪我をしないように祈りを込めているような感じがして、なんとなく応援したくなったものでした。 両膝を故障して、がぶり寄りが出なくなった時が、琴風の最後でした。大関陥落もそれが原因でした。しばらく平幕で取っていましたが、限界を悟ったのでしょう28歳の若さで引退してしまいました。引退後は師匠佐渡ヶ嶽の強力なバックアップもあって、尾車部屋をおこしました。それと同時にNHKの番組にも出るようになりました。なかなか判りやすい話し方をするので、好評なようですね。それとこの人が話していると、本当に雰囲気が明るくなるのですね。人柄がそのまま出るのでしょうが、得難い人ですね。
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