増位山大志郎(ますいやま だいしろう)二代目

まだ下の時分には「押し」をやっていたと言うのは、なんとなく信じられないような気もします。でも「押し」は基本として教えられるものですから、増位山はその基本から始めたと言う事ですね。後年の増位山を思い浮かべると、あまりピンと来ないようですけど、実は増位山の相撲は基本を根底に置いていたところがありますので、若い時分にはその基本にまず取り組んでいたといえるでしょうね。

増位山は、二代目力士で父親は元大関の増位山です。そういえばあの北の湖と同期だったんですよね。同じ部屋の、後年の横綱と大関が同時に初土俵を踏んでいると言うのも、珍らしいですね。それと、このころは若乃花の弟の花田や花籠親方の子供の中島が初土俵をふんだりして、ちょっとした二世ブームでしたね。このころまでは「二世は出世しない」と良く言われていたのですが、だんだん言われなくなって来たのは増位山や貴ノ花の成功があったからかも知れないと思っています。現在では、むしろ二世力士を待望するようになって来ましたね。本当に世の中の動きは大きいですね。

・・・と昔話をしていないで、増位山ですね。最初は押しをやっていた増位山も、幕内で活躍するようになるころはすでに押し相撲ではなくなっていました。前に出るよりは回り込む動きが目立つようになり、投げや足くせが決まるようになって来ました。さほど体の大きくない増位山が大関まで昇進する事ができたのは、独特の上手投げと左右の足くせ、柔軟な足腰、といった事が大きな要因ですが、見逃せないのは自分の体勢を作るのがうまかった事です。組んだ時には、常に相手の両足のはばの内側に自分の両足を入れて、相手の体勢を浮かせるようにしていました。運足も、両足がそろう事はほとんどなく、常に両足を前後に構えていました。この辺は、相撲の基本の動きだと思うのですが、増位山はそういう目立たない技術をきちんと身につけていました。それだからこそ、ワザ師として名を売る事ができたのだと思います。

完成された増位山の相撲は、技能相撲と言うよりも、むしろ「ケレン」というか、ある場合には「ペテン」に近いものがありました。ですから、その気で見ていると、これほどおもしろい相撲もありませんでした。たとえば、相手と組んで、右から投げるようなしぐさを見せ、実際に軽く投げたりした後で、左からひねる、という事を良くやりました。同じ様な事を、足わざでも見せました。右からの内掛けを思わせて置いて、左からの外掛け、なんていう事もありました。確か内掛けは右左どちらでもできたので、相手の虚を付くような事が平気でできました。ですから、増位山が今やっている事のちょっと先を予想しながら見ていると、自分の予想通りになったり、あるいはそうならなかったりして、結構楽しめたものでした。

それと、これは基本通りではないのですが、立合いが独特でした。輪島もやっていましたが、立つときに右手(確かそうです)を突き出したまま立ち上がって、相手の突進を阻んでしまう、という立合いでした。幻惑する立合いといってもいいですね。これは解説者からは評判が悪かったですね。でも軽量の力士としてはやむを得ない面もあったと思います。

増位山で忘れてならないのが土俵際での粘りです。一度片足で残して輪島を突き落としで破った事がありましたが、土俵際に落ちた輪島が、「信じられない」とポカンとした表情をしていました。それほどの粘りがあったわけです。これは柔軟な足腰があったからの事ですが、増位山の印象としては土俵際の粘りよりも、土俵の中での投げや足わざの方が強いですね。とくに鮮やかに決めた上手投げと言うのは、相手が見事に倒れるので、「さすが!」と思ったものでした。

増位山の上手投げは独特でした。「引きずり投げ」という言い方もあったようですが、ちょっと見にはそのとおりの感じでした。投げるのは左上手からでした。それも肱で相手の差し手を殺し、相手が足を送れないように自分の足を持って行って投げる投げでした。そのため投げる時の体勢は相手と間隔があいていました。大関昇進直前の場所ではこの上手投げが冴え渡り、本当にこのわざ一本で大関の座を射止めたと言ってもいいくらいでした。それまで幕内上位で活躍し、技能派という名は高かったのですが、とても大関になるとは思われていなかったので、ちょっと意外な昇進でした。これも引きずるような上手投げがいかに威力があったか、という事でしょうね。

大関昇進後の増位山は、あまりパッとした成績を残しませんでした。最大の原因は、肱を痛めた事でしょう。肱を使う技を多用したために、肱に無理が来てしまったのですね。こうなってはあの上手投げも威力を失います。そのため大関としてはあまり長い在位ではありませんでした。ま、長く幕内で活躍した後に大関に昇進した訳ですから、これもやむを得ないところでしょう。しかし華やかなムードのある人なので、大関としてふさわしいような気がしたのも確かですね。

増位山で目立つのは、土俵外での活躍です。・・・といっても別に悪い事をしたわけではありません。歌手としての活躍です。顔が良くて、声が良くて、人気力士なのですから、レコード会社がほっておくはずはありませんよね。で、レコーディングをしたのですが、これがヒットしました。それも「趣味です」という以上にヒットしたのです。ほとんど本職並みだったわけです。顔をしかめる人もいましたが、歌手増位山はなかなかの活躍でした。今でもCDが出ていますし、演歌のスタンダードと言う感じになっているようですね。こうなると、多芸多才の部類に入って来ますね。そうそう、父親の三保ヶ関親方も、現役時代から相撲甚句の名人でしたし、絵画の方でも二科展に入選したりと、多才なひとでしたから、これは血筋なのかもしれませんね。

引退後は一時小野川を名乗りましたが実父の三保ヶ関親方の死去の後は三保ヶ関を継ぎました。現在は審判委員をつとめていますね。親方としても手腕があるようですので、これから楽しみにしたいですね。


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