松登晟郎(まつのぼり しげお)

押しの力士でした。「マンボの松ちゃん」という不思議なあだ名がありました。これは土俵際まで追いつめられてもクルリと回転して体勢を立てなおす事がうまかった事からついたものでした。闘志満々の力士で、時間一杯になると手に唾をつけて気合を入れてから仕切りにはいる姿が名物でした。

相撲ぶりは体重をすべて投げ付けるような激しい押し相撲でした。見るからに気持ちのいい人でしたが、同時になんとなく憎めないところのある人で、子供にも人気がありました。力士を登場人物にした漫画の脇役として笑いを誘っていたりしたのも、あるいはこの人の人柄をとらえていたのかもしれません。私がおぼえているのは、大鵬が入幕して人気が出て来た頃、作者はわかりませんが『いもやの大鵬』という漫画があり、その中にいつも松の木に登っている「まつのぼる」という人物がいました。なんとなくおかしいキャラクターなので、今でもよくおぼえています。それにしてもなんで大鵬を芋屋にしたのか、不思議ですね。

関脇時分はかなり強かった人で、横綱になるかもしれないという期待を込めて大関に昇進しました。この時同時に大関に昇進したのがあの若ノ花でした。期待としては松登の方が若ノ花より高かったのですが、昇進早々怪我をしてしまったのが命取りになりました。怪我以後はそれまでの勢いが失われ、苦しい土俵を勤める事になってしまいました。そしてついに大関陥落の場所を迎える事になってしまいました。既に7敗して、顔が合ったのが大関に同時に昇進したあの若乃花でした。この時若乃花は容赦無く松登を破りました。

この相撲の後、若乃花は「なんで勝ったのだ」という非難にさらされる事になりました。つまり、同時に大関に昇進した仲なのだから負けてやれ、ということなのです。当時の相撲ファンの考え方が良く出ていますね。でも一番悩んだのは実は若乃花でした。いろいろと考えた末、「全力で相撲をとろう。そのために松登が大関から陥落してもいいではないか。力を十分に出す事こそ松登を尊重することなのだ」と思い定めて、対戦に臨んだのです。勝負はこの時の二人の力関係がそのまま出て、若乃花の勝ちとなりました。でも若乃花はとても辛そうな表情だったそうです。やはり同時に大関に昇進した力士を時分が陥落させるのですから、いたたまれない気持ちだったのでしょう。一方、負けた松登の方はサバサバしていて「あの時若乃花が全力で相撲を取ってくれて良かった。どっちみち陥落するなら、若関に負けて陥落したかった」というような事を言っていました。こんなところにも人柄が出ていますね。

しばらく平幕で相撲をとった後、引退する事になりましたが年寄株がなく、どうなるかと思われたのですが、師匠の急死により大山部屋を継ぐ事となりました。

晩年近く、大飛という幕内力士を育てましたが、小部屋だった事もありあまり話題になる事はありませんでした。このころのエピソードとしておもしろいのは、弟子のためにテンプラを揚げていたときに油がはねて大きなおなかにやけどした、というのがあります。師匠自ら弟子のチャンコをつくっていてやけどをしたというのは、何ともおかしな話で、やっぱりこの人はとぼけた味のある人なのだなと思わせました。

大飛が幕内上位で活躍するようになって、手放しでよろこんでいる様子が話題になっているころ、体調を崩して検査のため入院する事になったのですが、そのまま亡くなってしまったのは残念でした。


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