陸奥嵐幸雄(むつあらし ゆきお)

「東北の暴れん坊」と言われた通り豪快な相撲を取った人でした。玉ノ海さんがいつも「あれではパン食い競争だ」というくらい顎をあげて相撲を取った人でした。左四つで右上手を取るとつり出し、つり落とし、強引な投げ、といった具合で、本当に暴れ回ったという感じですね。「顎を引いて相撲を取れば大関だ」と言った人もいましたが、ま、これはそれほどの素質があった、という事でしょうね。本人は「顎を引いたら相撲が取れない」と言っていたようです。

陸奥嵐の入門は、ちょっと変わっていました。入門前は運送業の仕事をしていたのですが、たまたま宮城野部屋の前で荷物をトラックからおろしていると、中から出て来た人に呼び止められて、

「あんちゃん、相撲を取らないか」
「酒がのめますか?」
「うんとのめるよ」
「よし、決めた」

というようないきさつがあって、宮城野部屋に入門したそうです。酒が会話に出て来たくらいですから、陸奥嵐は大変な酒豪でした。この辺がこの人の持ち味でしたね。「もともとが運送業だから相手を持ちあげるつりが得意なんだ」という人もいましたが、何だか本当に思えますね。

陸奥嵐の土俵は本当に暴れ回るというものでした。ですから大きく勝ち越したり、大きく負け越したりという事もありました。三賞の受賞を見ても、敢闘賞が多いですね。でも1回だけ技能賞を取っているんですよね。なんか似つかわしくないような気がしますね。でもこの辺が相撲のおもしろいところで、乱暴な事をするのでも、チャンと技術的な裏づけがあるからできるのだと示しているようですね。もっとも1回だけというのが、いかにも陸奥嵐でしたね。

陸奥嵐の基礎にあったのは強靭な足腰でした。これがあったからこそ、つりも投げも威力を発揮できたわけですね。それとこの人は怪我の少ない人でした。体質もあるでしょうが、十分に稽古をしていた証拠だとおもいます。それと雰囲気のある人で、土俵に立つだけで人を惹きつけるものがありました。それやこれやで、人気力士の一人でした。

幕内上位で、十分に威力を見せ付けていた陸奥嵐にも、力の衰える時が来ました。昔のような乱暴な事ができなくなると、おとなしくなったかと言うと、それが全然違うのです。今度は河津掛けを連発するようになりました。この辺がさすがですね。力の衰えに伴って、新しいわざを開発した訳ですから。それも陸奥嵐という事を十分にアピールするわざでです。この辺が素晴らしいですね。

引退後は安治川部屋を興して弟子を育てていましたが、病気がちとなり、部屋を旭富士に譲って廃業してしまいました。


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