明武谷清(みょうぶだに きよし)

つりの名人が同じ時期に3人出ました。若浪、陸奥嵐、明武谷の3人です。この3人のつりはそれぞれに違いがあって、ファンを沸かせたものでした。この3人の内で、強さと安定度という面からみたら、この明武谷が一番でしょうね。何しろ全盛期の大鵬と五分にとって、あわや大関昇進かとまで言われたのですからね。

明武谷のつりは上手から長身を利してのつりでした。この点では単純明解な相撲でした。それと忘れてならないのは足腰が良かった事です。ですから攻めにも防御にも強い人でした。だからこそ大鵬と五分にとり、優勝決定戦に出場したりという活躍ができたわけです。欠点といえるのは、体重がつかなかった事でしょうか。もうちょっとあればより強みが増したかもしれませんね。

この人の土俵態度は落ち付いていました。闘志はあるのですがそれが表面に出る事はなく、静かなたたずまいでした。そんな点ではちょっと他の力士とは際立ったところがありました。

関脇で終ってしまったのですが、これは不運としか言えないとおもいます。大関のかかった場所で、確か初日から三日間連続で勇足をしてしまい、それがために調子を崩してしまったからです。これさえなければ確実に大関に昇進していたでしょうね。本当に残念でした。

明武谷については、とにかくつりに尽きますね。ですから明武谷が上手を取ると場内がどっと沸いたものでした。そして観客の期待どおりにつりで勝つ、というのがこの人の相撲でした。

ところで吉葉山という人は派手でにぎやかな人でしたが、そんな人の弟子にこういうもの静かな人が出るというのは何だか意外性があっておもしろいですね。

引退後は中村親方となり、審判委員をつとめたりしました。ところが格闘技は聖書の教えに反する、という理由で廃業してしまいました。廃業後はマスコミに登場する事はありませんでした。いつだったか、何かで明武谷の事が記事になった事がありました。その時の明武谷は家族と共にビル清掃業を営んでいて、相撲界にいた時とはまるで違う明るい感じになっていたそうです。相撲の話はあまりしたくない様子でしたが、廃業してから時間も経っていたので、芸談という形で話をしてくれたそうです。ま、幸福に暮らしているようなので、一安心といったところですね。

それと明武谷(というより明歩谷が)というのが本名で、しかもめずらしい名字なので、その点でも話題になった事がありました。現在では相撲界とは縁がなくなってしまいましたが、現役時代を知る人間にとっては忘れ難い力士の一人ですね。


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