隆の里俊英(たかのさと としひで)

大きな力士でしたね。特に盛り上がった筋肉が目立っていました。この人の筋肉は相撲の稽古だけで作り上げたものではなく、科学的なウエイトトレーニングを行った成果でもありました。この点で相撲界の新しい考え方を代表する人の一人といえます。

・・・と書くと全く問題がないようなのですが、実は重大な問題を抱えていました。この人の横綱昇進が遅かったのは、糖尿病との戦いを続けていたからでした。堂々とした体格の力士が実は半病人のようであった、というのは何ともおかしな話ですが、健康管理という面で考えさせられるものがありますね。現役時代からの病気は引退した後でも影響していて、未だに食事に十分注意しているといいます。それほどの病気になってしまったのは残念なことですが、その病気とうまく付きあって現役生活をまっとうしたのはこの人の性格が粘りづよいものであったからだと思います。

入門の時の話は既にふれましたが、結局この二人(若乃花と隆の里)は最後まで同期生であるという絆で結ばれていたようです。隆の里が底迷していた時に一早く横綱に昇進してしまった若乃花が「ライバルは隆の里だ」と発言して激励してたのはそのあらわれでしょうね。隆の里はこの発言がうれしかったようで、あとでその事に触れていました。こういう二人が同時に横綱として並び立てると良かったのですが、そうはいきませんでした。若乃花の早過ぎる引退と隆の里のゆっくりとした昇進のためにすれ違ってしまったのは残念でした。しかし二人のこういう関係が引退後も続いているようなのは嬉しいですね。

それからめずらしい記録を持っています。ヌケヌケという星取りで、勝ちと負けが交互になるというちょっと難しい成績を上げた事があります。この時は幸いにも8番勝ったので、良かったのですが、これが逆になって話題になったのでは本人もおもしろくなかったでしょうね。この交互の星取りというのは今でも時々話題になりますが、達成する事がなかなか難しいようですね。

で、やっと隆の里自身の事です。

なかなか実力を発揮しなかった感じのある隆の里ですが、体調が十分となるとあっという間に上昇して行きました。とくに、ポパイと呼ばれたほどの上半身は見事でした。これはウェイトトレーニングの成果なのですが、本当にハチ切れんばかりの筋肉でした。

これは強い横綱になる、と思わせたのですが、その通りの活躍ぶりでした。特に千代の富士との連続した千秋楽決戦は、これまでにないものでしたし、両者の充実ぶりもあって毎場所沸かせたものでした。この点からいっても十分に横綱の責任をはたしたといえます。ただ、残念な事にせっかくの横綱在位も長くはありませんでした。原因は両手の肱の故障でした。思い切って手術に踏み切ったほどでした。手術前は肱の痛みのために寝られない事が多かったようです。そのために箪笥を布団の脇に持って来て、その引き出しをあけてそこに両手を乗せてやっと眠る事ができた、といいます。手術の経過は良かったのですが、結局以前の調子に戻る事はなく、引退する事になってしまいました。

肱の故障さえなければ、もっと取れたでしょうし、あるいは第一人者として君臨する事もできたかもしれません。この早すぎた引退は、兄弟弟子の若乃花と同様で、残念ですね。引退後は鳴戸部屋をおこしました。この人の相撲歴からいって、ユニークな部屋づくりをするのではないかという期待がありますね。

それからめずらしい事に料理番組に出演した事がありました。もちろんNHKの番組です。この時は「アンコウ鍋」だったと思います。大きなアンコウを見事にさばいていたのにはびっくりしました。意外と器用な面があるのですね。そういえば、この人の結婚の時、相手の人が「湖のあるところでプロポーズされたい」と言っていたので、(わざわざ)十和田湖まで二人で出かけて行ってプロポーズしたのだそうです。ロマンチックというか、演出過剰というか、ま、やさしいのでしょうね。でもなんとなくこの人に似合っているような気がしますけどね。


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