照國萬藏(てるくに まんぞう

この人で驚異的なのはその星取りですね。なんせ、新入幕からずっと二桁の勝星なのです(15日制になってからです)。こんな人はあまりいませんね。相撲ぶりをたとえて「桜色の音楽」といいました。この言葉は、照國の相撲を良くあらわした言葉です。

まず「桜色」から解説しましょう。照國というひとは色白でアンコ型の力士でした。「平蜘蛛型」といわれた低い姿勢の仕切りをする人でしたが、仕切りを重ねるうちに全身が赤くなっていきました。それが美しかったので「桜色」となったわけです。

では「音楽」はどうなるのでしょうか? 照國の相撲は名人幡瀬川(後に養父となるのですが)が作りあげた芸術品といわれています。どう芸術品なのかというと、立ち上がってから勝負がつくまでの一連の動きがリズミカルで無駄がないこと、です。引かれても前には絶対落ちないという柔軟な下半身に支えられていて、それが低く低く攻めてくるのです。相手はつい引いたりはたいたりしますが、そうすればつけこんで食いついてしまいます。常に自分十分になろうという努力を惜しまず、小刻みに動いて止まることがありません。相手はその動きに乗せられてしまって、気がつくと土俵の外に出されていた、ということがしばしばで、まるで音楽のようだ、という声が上がってきたわけです。それで「桜色の音楽」という名前がつくようになったわけです。

写真を見るとわかるのですが、照國は童顔でいかにも若い人に人気の出そうな感じがします。しかし単なる人気力士でないことは横綱までの足取りでわかります。当時の最年少記録を書き換える形で横綱になったことは、照國の相撲が早いころから完成されていたことを思わせます。しかし、いいことばかりではありません。照國は横綱になったときには優勝経験がなく、しかも横綱になっても長いこと優勝できませんでした。それに加えて、今度は病気まで背負いこむことになりました。それでも横綱昇進後7年目にしてやっと優勝、それも連続優勝をしたのは精進の賜物でしょうね。これで力尽きたのか、ほどなく引退しています。

優勝こそ少ないですが、安定した実力のある横綱でした。この人を見ていると、優勝回数というのはその力士の強さを図る尺度の一つとして有効なものではありますが、それ以外に具体的な星取りも見ていかないといけないと思いますね。負けが少ない場所が多くて安定した勝星をあげている力士は、やはり強豪力士ということができると思います。もっとも照國は強豪力士というよりも名力士というイメージですけれども・・・


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