時津山仁一(ときつやま じんいち)

平幕で全勝優勝した事があります。確か幕内上位での全勝だったはずで、この点から言っても実力のある人だった事が解ります。そのあとも、いつも幕内上位か三役で相撲を取っていましたから、実力者でしたね。良く「大関候補」というように言われていました。体格も良く、大技もありました。幕内の成績を見ても立派に勝ち越しています。ですから大関の実力は十分にあったといえるかもしれませんね。

ところが実際は関脇で終ってしまいました。原因としては、相撲にムラがあった事があげられています。緊張して実力を出し切れない人だったのではないかと思います。そしてそんな事を思わせる写真があります。それは全勝優勝した時の記念写真です。

現在、優勝した時の記念写真と言うと、みんなで万歳をしている、はでやかな写真ですが、この人のは違います。他にもあるのかもしれませんが、私が知っているのは、優勝賜盃を横において、正座して緊張し切って写っている写真だけです。なんか、生まじめというか暗いと言うか、優勝した時の写真だと言う説明がないとどういう写真なんだか判らないのですね。もっとワーッと喜ぶようなところがあれば、きっと成績も安定して大関に昇進できたのではないか、そんな気もします。

決して弱い人でなく、栃錦や若乃花を堂々と破った事もあるくらいなんですが、その存在感の割合には好成績を続ける事ができなかった、そんな感じですね。得意だった矢柄投げなんていうのは現在では見る事ができないですね。今では「櫓投げ」といっている技と同じだと思います。この櫓投げは相手を持ち上げてふり回す技なので、決まるととても豪快です。

あまり目立ったところのない人ですが、実力者だったわけですし、大関になって欲しかったと言う人は多いですね。それから引退後程なく亡くなってしまったのも残念ですね。


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