輪島大士(わじま ひろし)

学生出身の最初の横綱ですね。それ以外にも、類のない人でした。この人が現在相撲界にいないのは残念な気もします。

輪島の相撲は独特でした。下手を中心にした相撲というのは大相撲では上位力士は取らないとされていたものですが、それを覆してしまったのです。左の下手を中心として下からねばっこく攻める相撲は、他の人には見られないものでした。「黄金の左」といわれた左からの強烈な下手投げは、それまでの定石を破るものだったと言ってよいでしょう。下手投げを得意技として横綱まで昇進した人はこれまでいませんでしたし、これからもあまり出現しないでしょうね。

ところで輪島のこの下手からの相撲というのは、チャンと師匠がいます。それは日本大学相撲部監督の田中英寿氏です。この人は選手時代に無敵といわれた人ですが、この人の持論が「下手からの攻め」なのです。もちろん、下手から攻めると言っても片手で相撲を取るわけではなく、チャンと上手になる方からの(輪島の場合は右からの)強烈な攻めが前提となります。これは見る人が見ればすぐわかるようで、輪島が上位で活躍し始めた時にはただ下手の攻めだけが注目されていましたが、当時解説をしていた先代二子山が「あの下手投げは右からの攻めが強いからきくのだ」といい、輪島の相撲は変則ではない、というような事を言っていました。これは卓見だと思います。田中氏の理論もおそらく体験から割り出したもので、相手のバランスを崩すにはどうしたらいいか、という点に着目して編み出されたものと思われます。

輪島の相撲で特徴的なのは下からの攻めです。低く立って、下から攻めて行き十分になるまでの前さばきの応酬、またその過程でぐんぐん重心を下げて行く姿は本当に素晴らしいものがありました。結局輪島の相撲は相手の中に入り込んで行く事を中心としていたといえます。ですから派手な決まり方をするような相撲はあまりなかったといえます。しかしじっと見ていると基本に忠実な動き方をしており、「相撲の申し子」といわれただけの事はあります。

いつの相撲だか良くおぼえていないのですが、立ち上がってからの前さばきの応酬をしている内に相手の力士が後ろへひッくりかえってしまった事がありました。これなどは輪島の下からの攻めがいかに強烈だったかを物語っています。

輪島の昇進は極めて順調でした。横綱になるまで、本当にあっという間でした。そして横綱になると先輩横綱だった北の富士をおさえて第一人者として君臨しました。この点はさすがで、いかに安定した相撲を取っていたかがわかります。

横綱に昇進してから、輪島は自分流の相撲を完成させ、最盛期を迎えます。ところが急にそれまでの相撲が取れなくなってしまいました。それは貴ノ花との一番で右手を負傷してしまったからです。このために右から攻められなくなり、輪島最大の武器を封じられてしまったのです。輪島の長いスランプが始まりました。

このスランプの原因は、けがのためにそれまでの輪島の相撲が取れなくなったためで、モデルチェンジのための期間であったという事もできます。このスランプの間休場が続いたのですが、その時の相撲雑誌の写真で、巡業風景の情景を続けた後「調整にはげむ輪島」ということで競馬場のダートコースを走っている光景を載せていたのには吹き出してしまいましました。「調整中」ということでこんなシーンを撮らせたのは輪島ただひとりですね。異和感が全然なかったのがまた不思議でした。

そういえば、貴ノ花との一番で負傷した輪島は何とそのまま優勝してしまい、千秋楽の土俵に紋付き姿で登場して優勝賜盃を受けました。これは優勝制度始まって以来との事で、話題になりました。

復活後の輪島は、それまでの鋭い相撲から変化しました。ちょっと小手先で相手をさばくような感じが出て来ました。特徴的なのは立合です。それまでは低く当たっていたのに片手をポンと付き出すようにしたのです。それで相手の突進を止めて自分の十分に持ち込もうというわけです。恐らくは利き手を負傷したことから考え出した方法なのでしょうね。なんとなく有効で、このやり方で引退まで取りました。

輪島で偉かったと思うのは、上昇して来た北の湖の厚い壁となった事です。第一人者の地位をなかなか譲らなかったわけなのですが、おかげで北の湖は立派な横綱に成長しました。北の湖が大横綱となり、一代年寄という栄誉を得たのも元はといえば輪島にどうしても勝てなかった事から発していると思います。そういう点でも、功績のあった人といえます。

引退後は、花籠親方となり順調に親方としてスタートを切ったのですが、ほどなく廃業をします。この時の話は、あんまり書きたくない。借金をして親方株を担保にするなんていうのはどうもねぇ・・・

師匠夫人が後に自殺するのもこの当たりに遠因があるような気がするのです。花籠親方自身は、こんな事を知らずに亡くなったのが、今となってはせめてもの慰めですね。

現在は相撲界を完全に離れています。ときどき消息がきかれますが、あまり香ばしくないのが残念です。


目次へ