若浪 順(わかなみ じゅん)

この人については吊りとうっちゃりに尽きますね。小さな体で相手をつりあげ、土俵際ではしぶとくうっちゃる、そんな相撲が今でも目に浮かびます。小さい人だったのですが、取る相撲は大きく、大胆でした。それと幕内が長かったですね。体調を整えるのがうまかったのでしょうね。最後まで衰えた感じがしなかったのは日頃の稽古の賜物でしょうね。

この人には印象深い事があります。それは私が一時相撲を見るのを中断していた時期があるのですが(大鵬の全盛期ですけど)、再度見るようになった時まだ活躍していたので、びっくりするやら懐かしいやらで、それからこの人の相撲を注目するようになったものでした。

相撲ぶりはがっぷり組んでの吊り、土俵際での粘り、投げ、でした。それで大きな人を倒していました。この頃には陸奥嵐、明武谷といった吊りを得意とする人が何人かいて、それぞれ楽しませてくれたものでした。また吊る人同士の対戦もわくわくしましたね。こんな相撲で、優勝をしているのですからたいしたものですね。

軽量だったので、そこをつかれるとあっけない負け方をしましたが、それ以外は見ていておもしろい相撲をとっていました。これは結局足腰のバネが強かったからでしょうね。晩年になってくると河津掛けを得意にしたりしていました。さすがにこの技をよく出すようになってからは引退も近いのかなとおもったりもしました。でも最後まで真剣に土俵にとり組んでいたのは確かで、好感が持てました。

確か幕内優勝をした後、体調を崩して十両で取った事がありました。幕内優勝者が十両で相撲を取ったのはこの人が最初ではないでしょうか。さすがにすぐ幕内に復帰しましたが、十両のままで引退したとしたら非難されたかもしれないですね。すぐ復帰できるとおもっていたので十両で相撲を取ったのでしょうが、この辺りにもこの人のひたむきさが出ているように思います。

現役時代は酒と歌で有名でした。酒は酒豪と言ってもいい人で、エピソードが大分あるようです。歌の方は、この頃から始まった福祉相撲の歌の常連でいつも引っ張り出されていました。ある時「両国ブルース」を歌ったので、あの若羽黒の付き人だったのだなと思ったりもしました。でも本当に懐かしそうにこの歌をうたっていましたっけ・・・

引退後は親方となり、審判委員などをつとめていました。


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