若乃花幹士(わかのはな かんじ)二代目

入門の時の話はもう有名ですけれど、やっぱり触れたくなりますね。何しろ、後に横綱になる二人が、同じ列車にのって入門したというのは、この若乃花と隆の里の二人だけではないかと思います。こういうのはあるようで、ない話なんですね。

本当はもっともっと強い人だったと思うのですが、怪我や病気のために十分に実力を出し切れなかったのは残念ですね。引退も早すぎたように思います。

上昇して来る時の勢いは素晴らしかったですね。柔らかい体をうまく使って攻めても守っても危なげのない、安定感のある相撲ぶりでした。

下の時分には怪我をしたりして、苦労した時もあったようですが、関取になってからはあっという間に幕内の上位力士として活躍しました。柔軟な足腰と、強気がもたらしたものでしょうね。

この人の土俵人生には、良くも悪くも師匠二子山の影響があります。それは四股名に端的に見て取れます。「朝ノ花」という四股名はこの人のイメージにあった感じがするので、このまま行ってもよかったと思うのですが、入幕すると「若三杉」と改名しています。この四股名は二子山の弟弟子で、後に大豪となった人が名乗っていた事のある四股名です。それにこの大豪は後に二子山の妹と結婚して、義理の弟となった人ですから、この四股名を名乗らせたという事は二子山のこの人への思い入れが直接にあらわれていますね。この改名の時点で、次の若乃花はこの人だという事が明らかになりました。というのは、番付上には「若三杉幹士」となっていたからです。「幹士」はもちろん「若乃花幹士」となるべきものでしたから、二子山のこの人への思い入れを知る人には師匠が「若乃花」とつけたがっている事はすぐにわかったわけです。もっとも、程なく「若三杉寿人」と改名したので、若乃花は当分おあづけという事になりました。

もう一つは、一度は二子山部屋の後継者とされた事です。もしこれが実現していれば現在の相撲界はだいぶ違った形となっているので、残念といえば残念ですね。えッと、事情を説明しないといけませんね。若乃花は師匠の長女と結婚したわけなのです。これは師匠の思い入れから見て、部屋を譲るという意志表示ですね。二子山はよっぽどこの人がかわいかったのでしょうね。何しろ自分の四股名を譲り、長女と結婚させたのですから・・・。ところが師匠の思惑とは違い、この結婚はどうやら若乃花にとっては無理やり結婚させられたという事だったようです。程なく若乃花は離婚し、現夫人と再婚しています。この時点で二子山を継承する事はできなくなったわけですが、若乃花にとっては部屋を継ぐより現夫人と結婚する事の方が意義のある事だったわけです。こんな点にこの人の性格が出ているようですね。

ちなみに最初の結婚の時、輪島や貴ノ花といった人達は若乃花が師匠の長女と一緒になったので「口ほどにもない」と言っていたそうですが、その若乃花が離婚して現夫人と再婚したので「さすがだ」言っていたという事を読んだおぼえがあります。結果的に最初の結婚は師匠の勇足といった感じがありますね。

で、師匠は怒ったかと言うと、全然そうでなくて、引退後に部屋をおこす時もすんなりと独立させました。やっぱりかわいいのですね。

話がそれてしまいました。若乃花の相撲ぶりに戻りましょう。

相撲は左四つ、右上手投げが強烈でした。先代の若乃花が猛烈な相撲を取ったのに、こちらの方はもっと洗練されていました。その分、強さが表面に立たない感はありましたが、安定感のある相撲ぶりでした。それになんとなく華やかな感じのする人で、土俵に立つと周囲が明るく感じられたものでした。上昇期のこの人を解説の玉ノ海さんがお気に入りだったのか「かわいい顔しているじゃないですか」を連発していたのは、今思いかえして見ると、非常におかしいですね。大関を狙おうかという大型実力派力士が「かわいい」といわれたのはこの人くらいではないでしょうかねぇ。

上位に定着した若三杉は、当然のように横綱に昇進しました。ここで「若乃花幹士」という四股名が復活したわけです。師匠の二子山がよろこんだのはもちろんですが、師匠のファンだった人も大喜びでした。なにせ名力士若乃花が復活したのですから、よろこびこの上もない、という感じでした。横綱土俵入りの稽古をつける二子山の表情が何ともいえなかったですね。

横綱昇進後の若乃花は、地位と四股名に恥じない活躍ぶりだったのですが、からだの故障のために意外に早く引退する事になったのは残念でした。最後のころは、成績もあがらなかったのですが、同格の横綱には勝ったりして、最後まで存在感を示していました。もう少し体調に留意して、長く現役生活を続けて欲しかったと思います。その点が残念ですね。


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